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なぜ勉強するの? ~最終話~

更新日:2025年5月23日

長々と思うがままに「なぜ勉強しなきゃならないの?」の問いに答えてきましたが、これが最終話。気軽に目を通してください。

 三つ目の意味は「『未来』を生きるため」です。


 50を過ぎて、取り巻く環境のめまぐるしい変化に、すごく戸惑いを覚えています。携帯電話が普及しはじめたなぁと思っていたら、デバイスの急激な変化によりスマートフォンを通してできることが多種多様になり、その変化がメディアをはじめとする社会の構造すら変化させています。ひと昔前であれば、自ら動画を発信するなんてこと想像すらできなかったのですが、今私は数学の基礎を勉強してもらうべくYoutubeチャンネルを開いています。また、財布の中をみて安心したり不安を覚えたりしていたこれまでが、今ではスマホを除いてポイントがたまることにほくそえんでみたりしています。


 別に、これらのプラットホームを開発するために勉強したほうがいいなどと、壮大なことをいっているわけではありません。また、これらを経営するために勉強をしたほうがいいなどとも思っていません。でも、急激な変化に対応する「理解力」や「対応力」を身につけるためにも、勉強は必要だと思っています。


 50代後半の人は経験したことかと思いますが、20歳前後にMS-DOSを使っていたコンピュータがWindows3.1の登場により劇的に企業に普及し、Windows95の登場によりパーソナルコンピュータいわゆるPCが爆発的に普及し「ITバブル」などといわれる景気の後押しがありました。


 この頃、人々はPCに「積極的」な人と「消極的」な人に大分されました。つまり、当時40~60万円ほどするPCの購入やPCにあるWORDやEXCELを積極的に仕事に取り入れる人と、そうでない人やPCを毛嫌いする人、存在そのものに否定的な人に分かれたんです。私はこういう「おもちゃ」が大好きなので、知り合いが新機種を購入したときにお古を貰い、EXCELの関数を使って「おぉ!!メチャメチャ便利!!」と時間が経つのを忘れて夢中になっていました。


 その10年後には、コンピュータは職場に当たり前に存在し、これらにより業務の合理化が図られ、人々の生活が大きく変化しました。そして、PCを毛嫌いした人や存在を否定した人々の立場は…ご想像にお任せします。この頃、居酒屋に行くと、隣の席から「ウチもパソコン入ってきたんだけど、全然わからん、全く触れないんだよなぁ」という声をよく聞きました。そして「いまさら勉強っていわれても…」と続いてお決まりのセリフを聞く機会が増えました。私にも同じセリフを吐く知り合いがいたのですが、その「いまさら勉強っていわれても」の理由を聞くと、「勉強が苦痛」「仕方がわからない」「覚え方がわからない」といっていました。これ、勉強の経験がないことを示しています。


 時代の変化についていくには、その都度「勉強」する必要に迫られます。しかし、その経験がない人が勉強をしようとしても、思うようにできないんです。その理由は「勉強」する経験からもたらされる効果にあるといえます。


 学生時代に継続的な勉強をしてきた人は、「勉強」そのものを行動に起こすことに疑問を持ちません。また、必要なら「勉強」することが当たり前にできます。そこに大きなスタートラインの差が存在します。そして、継続できる人と挫折する人との間の差は、埋まることがないのは容易に想像できると思います。


 「いやいや、勉強してこなかった人も、仕事で必要に迫られたらするよ」と思う人がいるかもしれません。でも、それを実践できた人を私は知りません。というか、できなかった人がほとんどでした。やはり、人は苦痛や苦行を避けるものですから、あたりまえといえばあたりまえなんです。まして、社会に出てから勉強することになると想像していた人は、この頃少なかったと思います。今の50~60代の人の親世代は、いわゆる高度経済成長期の労働者がほとんど。勉強よりも経験が重視される時代であり、「勉強しなくて何とかなるもんだ」と私の父が豪語する時代でした。確かに、重機などが登場したり進化したりした時代でもありましたが、それも経験がものをいう利器であるものでもあり、座学の必要がほとんどない時代といえました。そのような親の下で育った世代は、「勉強よりも~」のセリフを当たり前に子どもに語り掛ける人が多く、勉強をする人を「ガリ勉」として見下すことも、この時代に生まれました。つまりこの頃に、勉強を頑張る人がなにか見下されるような風潮が生まれたといえます。


 しかし、近未来を想像すると、AIの導入により利便性や合理化が様々な局面で進むことが予想されます。そして、ChatGPTやGoogleのGeminiなどを業務で利用するのがあたりまえになることが容易に想像でき、それは現在50代のPCの普及のときの様相を招くことも想像できます。ともすれば、このAI時代を生き抜ける人と取り残される人に分かれるときが迫っているともいえます。そうすると、このときに自らAIを勉強して活用に積極的に動く人とそうでない人の差が、その人たちの格差を生む可能性も容易に想像できます。それでも、勉強すること、勉強を学生時代に継続する練習をすることが、不要なのでしょうか。


 このように、勉強の経験は、時代の変化に対応するための準備ともいえると思います。その経験が未来を普通に生きる、下の世代のあたりまえに取り残されることのない未来につながること、そしてその後の安寧を生むことになると確信できます。ですので「なぜ勉強しなきゃならないの?」の問いへの答えの一つとして、私は「勉強という経験を通して、きたる未来の勉強に備える」ためと答えます。

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