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なぜ勉強するの? ~その2~

更新日:2025年5月27日

前回に引き続き、「なぜ勉強しなきゃならないの?」の問いに、私なりの答えをつらつらかいていきます。

 二つ目の意味は「『後悔を少なく』生きるため」です。


 私たちは命がある限り、生活を続けなければなりません。遠縁にお坊様がいるのですが、「生きることは、それ自体が修行みたいなもの」と言われたことがあり、生きることが様々な苦痛や不便に強いられる日々であるような話をされたことがあります。


 しかし、私はそんな風に生きているつもりがありません。子ども達との触れ合いはそれ自体が刺激的ですし、家族の愛情を日々感じますし、仕事にやりがいを感じる日々を送っています。確かに、ケガや病気もしましたし、それで若いころに部活そのものを諦めたりもしたことがあったり、モテなかったので片思いばかりの青春時代でしたし、いいことばかりでもありませんでした。でも、そのたびに何かしらを考え、悩み、相談したりして、自分なりの答えを出して明日を向いていた気がします。


 私のこれまでが幸せかどうかは、私にも判断できませんが、それでも苦行の日々が続いていたとも思っていません。かといって、能天気に悩みを忘れたこともありませんし、逃避したつもりもありません。


 なにかしらの悩みや苦しみが襲ってきたとき、どうしてきたかを考えると、日々悩みぬいたり苦しみぬいたりしながら、論理的に結論をなにかしら見つけてきたような気がします。どのような悩みでも、「なぜ」「どうして」「なにが」を問いながら、「どうするか」「どうすべきか」「どっちに向くか」の結論を導き出してきたと記憶しています。


 クセなんですよ、こういう考え方。でも、それが若い頃に身につけた「後悔しない生き方」なんです。そして、その考え方をするため、人の意見を聞くために、いろいろ知識をつけること、その知識からヒントを導くこと、論理的に判断することや自分の状況に合うように変えることを身につけてきたと思います。そのためには、勉強をしっかりして、読解力や論理を構築する力、客観的な視点を身につける必要があり、勉強の必要を認識しました。かなりその必要性を認識したのが遅かったので、立派な人生でもないですが、それでも後悔の少ない人生ではあったかなと、60歳を目の前にして思っています。


 そして自身のこの悩み方を客観的にみたとき、「悩みぬいたんだから、失敗や間違いを認識しても、後悔することは少ないだろうな」と思いました。考えに考えて出した答えは、それ以上考えてもいい答えはないだろうと納得できる礎になっているのではないかと考えたのです。それでも、そのときの判断を後から見返せば、あのときの判断は「こうしておけば…」と考えないわけでもないですが、それでも「まぁ、そのときはそれがベストか」と納得できるんです。


 そして、この悩みぬくことを支えてきたのは、論理を構築する練習である数学、先人の失敗や成功を客観視する歴史、自然現象を論理的に説明してくれる理科など、勉強がもたらしてくれた知識や思考でもあるのです。なにせ真剣に勉強してからの行動のほうが、後悔が少なく、それであろうことの裏付けだと容易に推測できるので。


 私の生き方が客観的にみて正しいかどうかはいろんな意見もあるかと思いますが、結局のところその人が「正しかっただろうなぁ」と振り返ることができれば、周りとの比較もすることなく、穏やかで幸せな人生なんだろうと思えるものです。少なくとも、そんな人生を送る上で、私にとってその土台になったのは勉強がもたらす成果だった、というお話でした。

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